前回、昇段審査(三段)の様子を動画や写真でお知らせいたしました。今回は、審査に伴う論文提出についての記事です。
合気会では二段以上の昇段審査で、感想文や小論文の提出が課されているとのことです。
今回、三段の審査を受けた方の小論文を動画仕立てでお届けいたします。
『合気道を稽古する意義についての考察』 松原
これまで約 10 年にわたり合気道を稽古してきましたが、合気道を学ぶことの意義についてこの機会に一度自分の中で考えてみたいと思います。
まず合気道の稽古は言うまでもなく体術を中心とした鍛錬であり、日々の稽古によってその身体を鍛錬することができます。ただ競技スポーツの鍛錬のように筋量が増す、スピードが上がるということ以上に「咄嗟の時に居着かない身体」を鍛錬できることは、合気道に特有の日常生活においても非常に汎用性の高い利点だと言えるのではないでしょうか。合気道の稽古人が良く口にする「転倒した際に咄嗟に受け身が取れて、ケガをせずにすんだ」というのが端的な例だと言えます。ただし、単にこのような転倒の際のケースだけでなく、日常の物理的、心理的な不慮の出来事に対しても「居着かない身体や精神」を鍛錬できる可能性が合気道にはあるのではないか、そしてその可能性は日々の稽古をどのような心持ちで実践するかによるのではないかと考えます。
合気道の稽古は「状況に対して、思考ではなく、感覚に頼って、最適な動きができるかどうか」を、型稽古を中心に繰り返し試行するものと言えます。稽古においては、まず師範・指導者から理想とする動き(技)の手本を提示頂き、その動きと感覚を自分(取り)と相手(受け)の間で再現できるかどうかを試行します。最初は頭で考えながら、ああでもない、こうでもないと動いてみますが、指導者からのアドバイスをもらいながら繰り返し稽古をしていくと、自分と相手の動きに対して腑に落ちる感覚や納得する感覚を感じられるときがあります。これまで出来なかった技や動きに対して、自分自身の思考は正解を分かっていませんが、自分の感覚は正解を分かっているというのは、人間の身体というのはやはり不思議なものだと思います。この自分の感覚を絶えず磨いていこうという意識を稽古の中持つことができれば、様々な事象に対して即応できる感覚が身に付き「咄嗟の時に居着かない身体」を習得することができると思います。慣れた技でいつもと同じ動きを繰り返す稽古とは対極の、意義のある稽古にすることができます。
もうひとつ合気道の稽古で研鑽できる能力として「最適な間合いを取る」能力が挙げられると思います。取りと受けが稽古する中で、技が効く間合いやポジションがあり、それは自分と相手の身長差や、お互いの動き方によって変化します。自分が主体となれる間合いやポジションに自然といる状態を技の中で再現できる感覚は、合気道の稽古の中で特に鍛錬できるもののひとつと言えます。これも日常生活の中で活かすことのできる武術的感覚だと考えます。
このように、合気道の稽古で鍛えられる能力には、単なる技や技術を超えて、日常生活に還元できる武術的感覚があることが、それを学ぶ大きな意義と言えるのではないでしょうか。そうした感覚を鍛錬するという意識を日々の稽古において常に持つことが、合気道を稽古する意義を高める上でより重要であるというのが、今回の考察の結論となります。
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